冷戦の始まり

冷戦とは第二次世界大戦後、ソ連を始めとした社会主義陣営の東側諸国とアメリカ主体の資本主義陣営の睨み合いのことを指す。

つまり戦車や軍隊を出動させるバチバチの戦争ではなく、まだ戦争にはなってないが何かの拍子に戦争になるかもしらんで、という緊張状態である(朝鮮戦争ベトナム戦争等の代理戦争は起こっていた)。

 

しかしなぜ、第二次世界大戦時には同盟国であった米ソがこのような緊迫した状況にまでなってしまったのであろうか。

社会主義と資本主義という根本的な考え方の違いという要因はあるものの、やはり一番はソ連の不安感によるものが大きいであろう。

ソ連の不安感とは、近隣諸国のドイツが攻めてきたという経験から、隣国が自分たちと違う思想を持っていることからくるものである。そのためソ連共産党を応援し、世界中を社会主義国にしようとしたのである。

アメリカもこの流れを警戒し、トルーマン大統領はソ連封じ込め政策として、アメリカ寄りの国は独裁国家やとしても応援するで、ということを始めた。これにより東西冷戦は激化し、チリでは民主政に基づいて社会主義が採用された際には南米が社会主義化するのを懸念しCIAを派遣、そしてクーデターを起こさせその倒壊を図った。またイランでは結果として反米国家となってしまったものの、半ばイギリスの植民地となっていたが、石油を国内独占する方針を打ち出し、イギリスからは猛反発を受け、アメリカそれを支援する形でイランにクーデターが起きるよう仕向けた。

一方ソ連も、国内の混乱を抑え込むという名目の下、アフガニスタンへ進行。大統領を殺害し、そのまたアフガニスタンとの内戦が勃発した。

このように思想というのはどうあっても抑え込むのが非常に難しい。

 

次に勃発したのが核開発競争である。1945年、広島と長崎に核を落としたアメリカを見て、ソ連もそれに対抗する形で核の開発を始めた。冷戦初期においてはICBM等の長距離弾道ミサイルはまだ開発されていなかったため、お互いが国境付近に核を積んだ航空機を24時間365日巡回させ、いつでも核を落とせるんやでといって牽制しあっていた。その後中距離まで核ミサイルを飛ばせる技術が開発され、アメリカはモスクワへの攻撃を想定し、隣国のトルコに。ソ連はNYやワシントンへの攻撃準備のため、キューバへ核ミサイル発射基地を整備した。まさに一触即発の状態で、いわゆるキューバ危機と呼ばれるものである。

 

その後も、核保有数を増加させ続けた2国は、こんなに地球何回も破壊できるぐらいのミサイル持っててもしょうもないで、とりあえずもう作るのは止めにして、減らしていく流れにしよや。といって核ミサイル減少の交渉を進めていた。ただし、この交渉は中国の核開発の活発化により一旦ストップしてしまっている。

 

このように冷戦は終結したが、冷戦時代に作られた脅威はまだまだ健在であり、今後も余談を許さない状況が続いていくであろう。

日本の選挙制度の不思議

もうすぐ知事選が始まる。

私は混雑するのがどうにも苦手な性分のため、期日前投票で済ませる予定なのだが、同僚や友人等、この知事選に注目している者はほとんどいない。そもそも投票に行くのであろうか。

知事選とは、国民が自分たちの地域のリーダーを直接選ぶことができ、いわばアメリカでいう所の大統領選と同様の制度、二元代表制が採用されている。アメリカでは自分たちの支持する党のシャツを着てアピールしたり、日本では認められていない戸別訪問を行い、国民に投票を促したりと、大きな盛り上がりを見せ、日本とは対象的と言ってもよい。事実、アメリカの2020年大統領選、民主党バイデンvs共和党トランプにおける投票率は約67%と、非常に高い。それに対して、同年都知事選の投票率は55%とアメリカのそれを大きく下回っている。

 

この投票率の低さの原因には多くの要因があるが、日本の選挙が盛り上がれない構造にあることが大きな要因であるように思う。

例えば、戸別訪問が禁止されていること。これはお金を渡したりと、不当な選挙活動を是正するために禁止されているとのことだが、今はSNSに書き込まれたりする恐れもあるため、このようなことが起こる可能性は限りなく低い。戸別訪問が可能になれば、候補者が有権者の生の声を聞きやすくなったり、有権者もあの候補者は態度が悪かった等の、今の選挙カーでの広報活動で得られる情報より、多くの情報を得ることができるだろう。

 

次に投票所まで行くことが億劫であること。日本は市役所や小学校等、普段の生活では行かない所へ足を運んで投票を行う必要があるが、フランスでは近所のカフェやパブでの投票も可能であり、ふらっと寄って投票、コーヒーを飲むついでに投票、といったことも可能だ。

 

このように、日本の知事選ももっと盛り上がって、楽しく政治に参加できてもいいはずであるし、投票率をあげることが日本の良き未来に繋がると私は思っている。

若者は政治に関心がないと言われるのは正直悔しい思いもあり、これからの日本を背負う若者の声が反映されない選挙はそもそもの価値を毀損していると考えざるを得ない。

 

【備忘】

イギリスは国民がリーダーを直接は選べない、議院内閣制を採用。日本の総裁選がこれにあたる。日本は二元代表制と議院内閣制のハイブリッド選挙を採用。

ペストが変えたもの

7世紀に中国で発見され、シルクロードに乗ってヨーロッパにも伝染し、猛威を振るった感染症「ペスト(黒死病)」。ペストが大流行した14世紀ヨーロッパでの犠牲者は総人口の約1/4とも言われており、当時のヨーロッパ人口を1億人とした場合、死者は約2500万人にも昇る。

周りの人間の4人に1人が同じ病気で次々と死んでしまう状況は明らかに異常であり、当時のヨーロッパの雰囲気は凄まじいものがあっただろう。

 

さて、そんなペストの大流行であるが、人々の考え方にも大きな影響を与えた。大きく2つあるので、1つずつ説明していきたい。

 

封建社会から資本主義社会への移行

 

言わずもがな、当時のヨーロッパはガチガチの封建社会。通常、土地を保有している領主に逆らうことは絶対にできないという状況であったが、ペストは偉いからかからない、偉くないからかかるといったものではない。故に、偉い人間(領主)もバッタバッタと死んでしまい、その結果食糧を生産できる農民の地位が急激に上がった。緊急事態の際には、皆がまず確保を目指す第一次産業が強くなるのは当然のことだ。ペストが社会の身分構造を変えたのである。

 

キリスト教への疑念

窮地に追いやられたヨーロッパの人々は当然神にすがる。しかし、神に祈ってもペストの猛威は収まらず、犠牲者は増えていくばかり。そんな状況下で、1つの疑念が人々に浮かんだはずだ。

「なぜ、神はこんなに苦しんでいる我々を助けてくれないのか。」

そんな流れの中で、一神教であるキリスト教とは対象的な、多神教を主としたローマの古典文化を再生を目指す、ルネサンスという考え方が広まるに至った。

 

感染症とは人々の生活様式、そして考え方さえも大きく変える。今回の新型コロナによっても、zoom会議・授業が主流になり、またマスクをしていない人は悪といった風潮が出てきたりと、我々の生活も大きく変わった。

いずれはコロナもペストの様に収束(正しくは、インフルエンザのような存在になる)するだろうが、その際、他人の意見に流されず良いものはそのまま残していきたいものだ。

 

 

 

裏口を探すことの大切さ

私は優秀な人間ではないのだが、大学4年生のとき1度だけ研究発表会のゼミ代表に選ばれたことがある。教授に、「君の研究を他の教授陣の前で発表してくれなか。」と話があったとき、私は自分の研究が認められたと思いひどく喜んだ。卒業論文の執筆は大学生活の集大成だと思い、力を入れていたのだ。

しかし二言目に教授は私に、「正直、君よりも良い論文はあったんだ。」と言った。

あれ? さっきまでは有頂天だったが、急に気持ちが冷めていくのを感じた。じゃあなんで私なんですかと半ば不満げに聞くと、「君は教授たちにリンチにされても何も感じないでしょう。」と言われた。

聞くところによると、その研究発表会では毎年発表者が教授からの質問攻めにあい、落ち込んでしまう者が多くいるらしい。

そう、この教授は私の論文の出来が良かったから声をかけた訳ではなく、私のメンタルを見込んで代表者に選んだのだ。確かに私は怒られても落ち込んだりするタイプではなく、聞くところだけ聞いて他はサラリと受け流してしまう質だが、これにはびっくりしたし、ガッカリした。

研究発表は無事リンチにされて、教授の期待通りに終わった訳だが、この出来事から学んだことが1つある。

それは「裏口を探す大切さ。」である。

例えば映画に出演したいと思ったとき、王道のルートだと、演技を練習してオーディションを受けて合格し、俳優になり下積みをして…といった具合になる。しかしこんなルートはどうだろうか。演技の練習はそこそこに、オーディションの道は競争率の高さから早々に見限り、料理をひたすら練習する。すると、演技はそこそこながら料理はとても上手な俳優が生まれ、映画でのシェフ役に抜擢される。これが裏口である。

私がたいした研究でないにもかかわらず、代表に抜擢されたのは、この話で言うところの、演技の上手さではなく料理の腕が評価されたからである。

このように目標達成を試みるときは、王道のルートではなく、いかに裏口を見つけるかが重要なのではないだろうか。

ではでは。

大企業をすぐ辞める忍耐力のない人

先日、大学時代のとある友人と所用で連絡を取る機会があった。

その際、会話の中で彼女が会社を辞めたということを知った。彼女が働いていた会社は超大手企業と言っても差し支えないほどで、人材会社が毎年行っている就活人気企業ランキング調査でも毎年上位をキープしている企業である。彼女から、その企業から内定が出たという連絡を受けたときには、やはり優秀な人は大企業に属するものなのだなと感じたものだ。しかし、そこを1ヶ月で退職し、今は地元のアパレル点にて、アルバイトをしているらしい。

 

さて、ここからが本題であるが、会社を辞めた彼女に対して大きく2つのが見方が可能だ。1つはタイトルにあるような「せっかく採用された会社をすぐ辞めてしまう忍耐力のない人」。そして、もう1つは、「圧倒的な損切り力を持つ人」という見方だ。私は、彼女は後者の人間であると思う。

通常、人間とはあまり変化を好まない生き物だ。今いるコミュニティから出ることには躊躇してしまうし、今属しているコミュニティが良いものであるなしに関わらず、「新しい場所が今より良いものになるかは分からないし…。」という思考が働いて中々退職には踏み出せない。ましてやそれが大手企業という、多くの就活生が羨む環境であるならばなおさらだ。人間にとって環境を変えることは、それほど簡単ではないのだ。

彼女が何故退職したのかは詳しくは知らないが、やはり退職するときはそれなりにドキドキしただろうし、不安もあったと思う。しかし、持ち前の決断力でその揺らぎに打ち勝ち、意思決定した彼女を私は尊敬するし、どうか何も知らない人間が文面だけで前者のような偏見を持ち、彼女が悲しくなってしまわないことを祈る。

また帰省したときはお酒を飲みながら色々と話をしたいものだ。

 

ではでは。

 

自分のミニマムライフコストを知る

最近、私は何不自由ない生活を送っている。と言ってももちろん皆さんが想像する、朝は自宅の象たちと戯れ、夜はナイトプールでパシャパシャするといったお金持ちの極みのような生活ではなく、朝はフルグラを食べて会社に出勤、夜は好きな人と食事し、休日には趣味や旅行に没頭する、といった生活だ。これで十分幸せだが、この幸せを維持するのにはどれくらいのお金が必要なのだろうか。
言い換えれば「ミニマムライフコスト」の把握である。今回はそれについて書いていきたい。

ミニマムライフコスト(以下、コスト)という言葉は以前何かの本で知ったのだが、その考え方には強く影響を受けた。要は、お金が足りない、今の生活水準に全く満足できていない、と言う人に対して、「ほな、いくらあったらええのん?」と問いかけることを指している。これは意外と答えられない人が多いのではなかろうか。

このコストを適切に把握することで精神的余裕が生まれる。私の場合は月に10-15万円程度であり、この金額で旅行も行けるし、車を買える。なんなら貯金も可能だ。時給1000円のバイトで週に25時間ほど働けば手に入る額なので、正直、余裕で手に入るお金と言っても過言ではない。大学生でもこのくらい稼ぐ人はいくらでもいるし、このくらい稼げる仕事はいくらでもあるだろう。

そのため、別に無理して嫌な仕事をする必要はない、なにか嫌なことがあったときには辞めてまた新しい職を探せばいいかという思考になる。この余裕が精神的衛生に繋がり、穏やかな日々を送れる一助になるのだ。

もしブラック企業で働いていて、辞めたいのにお金の不安をお持ちで辞められない、そういう方がいらっしゃるなら、一度立ち止まり、家計簿をつけるなりして、今の生活を維持するためにはいくら必要なのか、そしてそれは本当に今の職でしか手に入れられない金額なのか考えて頂ければと思う。
案外、楽しく生きるのにそれほどお金は必要ないのではなかろうか。
ではでは。

新卒が貯金を頑張ることによる損失

最近友人と貯金について話をする機会があった。そこで新卒の貯金について思うところがあったので、つらつらと書いていく。
私は「貯金額=機会損失」であるという考えを持っている。つまりは、新卒の貯金には反対の立場であり、ここでいう貯金額とは生活防衛費以上のお金のことを指している。
例えば100万円の貯金のうち、60万円が生活防衛費だったとする。すると残りの40万円は行き場をなくしてしまった、あるのかないのか分からない無意味なものと化してしまう。これが私の言う機会損失だ。本来ならばその40万円で、好きな子とデートをしたり、バンジージャンプをしたり、読みたい本を買ったりと色々なことが出来ていたはずだ。つまりはそれらの機会を捨ててしまっていることになる。そして、当然であるが20代の40万円と60代の40万円は価値が大きく違う。お金を使うには体力が必要なのだ。
以上のことから、新卒はお金を貯める前に体験を貯めれば良いのではという結論になる。
この考えが皆さんの参考になればと思う。
ではでは。