③ロシアはいかにして大国となったのか〜第一次世界大戦〜

第一次ロシア革命後の1906年、ニコライ二世が欽定憲法を定め、それに対して国民らの不満は募る一方であった。

そこで革命家達はそんな政府を打倒するため、各地で「ソビエト」という団体を作り始めた。ソビエトとは「評議会」という意味であり、現在の生時に対して不満を持つものの集まりであり、当然ニコライ二世はこの組織の弾圧を図っていた。

 

そのような政府と革命家達の硬直状態が10年ほど続いた後、1914年、オーストリア皇太子夫妻をセルビア人の男性が襲撃したことを皮切りに、世界は第一次世界大戦へと突入する。しかし、そう。戦争が始まると飢えてしまうのは多くの一般庶民達である。

そこで1917年2月、第一次世界大戦に対する反戦を唱える国民たちはペトログラード(ロシア語標記)(ドイツ語標記:サンクトペテルブルク)にて、「パンと平和」を求める運動(二月革命)を開始し、これを受けてついにニコライ二世は皇帝を退位することとなった。

 

余談であるが、この二月革命の「二月」とは、当時独特な暦を使用していたロシア内での月であり、メジャーな暦上では三月である。

 

この退位を受け、立憲民主党が発足されるなど民主化の流れをロシアも受けるわけであるが、ここに一石を投じたのがスイスのジュネーブに亡命していた、革命家のレーニンである。

次回はこのレーニンについて書きていきたい。