①ロシアはいかにして大国となったのか

今の国際情勢の中心的存在と言ってもよい、大国ロシア。では、ロシアはいかにして大国となったのであろうか。

ロシアのルーツは9世紀に成立したキエフ公国であり、10世紀にウラジミール1世が、当時東西に分裂していた東ローマ(ビザンツ)帝国の皇帝の妹と婚姻関係を結んだことを足がかりとし、その領土を広げていった。また当時の東ローマ帝国ギリシャ正教が国教(西側はカトリック)であり、キエフ公国もそれに則る形で、ギリシャ正教を国教とした。

しかし、そんなキエフ公国を征服しようとする国が現れる。モンゴル帝国である。

 

1240年から1480年まで続いたモンゴル帝国の支配は、「タタールのくびき」と呼ばれ、モンゴルの支配により発展が妨げられた、という思いが込められている。

このときモスクワやキエフ辺りの領土は、モンゴル帝国のキプチャクハン国に支配されており、この国に認められたイヴァン1世はモスクワ大公国を築いた。キエフから新たにモスクワを中心とした、今のロシアにも通じる歴史が始まるきっかけである。

またイヴァン1世はモスクワを、第二のローマである東西分裂後の東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルについで、「第三のローマ」とし、私達はキリスト教本流を受け継いでいるんだ、ということを示した。

 

このモンゴル帝国支配の流れが変わったのは15世紀後半にイヴァン3世が、双頭の鷲(ビザンツ帝国の紋章を引き継いでいる。)をモチーフに、「我こそはツァーリ(皇帝)だ。」と主張し始めたことによる。これにより、後のイヴァン4世は正式に皇帝と認められた。

そしてロシアは、17世紀後半〜18世紀には大帝ピョートル1世が、18世紀後半にはエカチェリーナ2世がと、領土拡大を続けていった(ピョートル大帝即位より、ロシア帝国と呼ばれることが多い。ロマノフ朝とも呼ばれる。)。

ピョートル大帝の時代には、不凍港獲得のため、現在ウクライナ侵攻とも関係のあるアゾフ海、シベリア、そしてスウェーデンとの戦いで勝ち取ったバルト海に進出、そしてエカチェリーナ2世下においてはクリミア、オホーツク海に進出した。

余談であるが、バルト沿岸にサンクトペテルブルクという都市があるが、これはピョートル大帝の名前を冠した都市である。

 

このように歴史を学ぶと、戦争を起こす側の論理が多少なりとも見えてくる気がする。

次回もロシアの歴史について学んでいきたい。