キューバ危機はヤバかった

事の発端は東西冷戦下における、1962年キューバ上空を飛んでいたアメリ偵察機がとんでもないものを発見する。そう、核ミサイルである。それもソ連の核ミサイルだ。

 

元々キューバは1959年以前のバティスタ政権下においては、親米国家であった。サトウキビの産地であるキューバアメリカ企業が進出していき、両国の関係は非常に有効なものであった。しかしその後、革命家カストロバティスタ政権を打倒し、反米国家としてのキューバを成立させ、キューバ内のアメリカ企業を国有化してしまった。これに激怒したアメリカはキューバからの砂糖の買付をやめるという、経済制裁を行い、おそらく想定内ではあったはずなのだが、大口の外貨稼ぎ口がなくなってしまったことで、キューバはえらく困ってしまった。

 

そこにホワイトナイトとして現れたのが、ソ連である。ソ連キューバを仲間に引き入れようと、砂糖はわいらが買うわ、ほんでよかったら石油も安くしとくでぇ、と言って近づき、結果仲間に引き入れることに成功する。

 

この背景があっての1962年の核ミサイル発見であったため、このままではNYやワシントンに核が投下されるかもしれない、攻撃される前にキューバを占領した方がよいのでは?という軍内部の声を鑑み、当時の大統領ジョンエフケネディは、核戦争に向けて世界各国の米軍基地に緊急対応準備を呼びかけた。

 

このキューバ対応として、1962年10月22日、ジョンエフケネディキューバ海上封鎖することで、全ての核ミサイルがキューバに運び込まれることを阻止しようとし、その以降をテレビ放送にて、全国民に伝えた。

 

アメリカは広島長崎に原爆を投下した経験から、核の恐ろしさを最も知っている国の一つであるため、このときの緊迫は相当なものであったことが推察される。

 

10月27日には、キューバ上空を偵察していたアメリカ機が撃墜され死者も出たことにより、さらに緊迫した状況になっていく。

 

余談であるが、このときキューバ近海にいた核魚雷持ちの潜水艦の艦長は、幹部より核戦争が始まったらキューバを包囲しているアメリカ軍艦隊を一掃するため、核を打てとの司令を受けていた。そんな矢先に、潜水艦を発見したアメリカ船はソ連潜水艦に向けて浮上を促す、爆雷を投下して警告。この爆撃による振動を核戦争勃発によるものと勘違いした艦長は核を打とうとするものの、一旦状況を見ようと副館長に制止され、事なきを得たというエピソードもある。それぐらい、いつ核戦争、第三次世界大戦が起こってもおかしくない状況であったのだ。

 

しかし、核戦争はお互いの国だけにとどまらず、地球の存続に関わるため、両国ともできれば避けたいのは当然である。そこでケネディソ連フルシチョフ首相に向けて書簡を送り、アメリカがトルコに設置した核ミサイル設備を撤退させる代わりに、キューバのも撤退してほしいという交渉を呼びかける。

 

この交渉に応諾したフルシチョフは、手紙では遅すぎて、待っている間に核戦争が起こってしまうかもしれないと、すぐに国営放送にてキューバからの撤退を指示し、それを監視していたアメリカ側もそれを受けてトルコから撤退し、キューバ危機はなんとか事なきを得たのだ(このときの教訓から、後にホットラインを設置することとなる)。