裏口を探すことの大切さ

私は優秀な人間ではないのだが、大学4年生のとき1度だけ研究発表会のゼミ代表に選ばれたことがある。教授に、「君の研究を他の教授陣の前で発表してくれなか。」と話があったとき、私は自分の研究が認められたと思いひどく喜んだ。卒業論文の執筆は大学生活の集大成だと思い、力を入れていたのだ。

しかし二言目に教授は私に、「正直、君よりも良い論文はあったんだ。」と言った。

あれ? さっきまでは有頂天だったが、急に気持ちが冷めていくのを感じた。じゃあなんで私なんですかと半ば不満げに聞くと、「君は教授たちにリンチにされても何も感じないでしょう。」と言われた。

聞くところによると、その研究発表会では毎年発表者が教授からの質問攻めにあい、落ち込んでしまう者が多くいるらしい。

そう、この教授は私の論文の出来が良かったから声をかけた訳ではなく、私のメンタルを見込んで代表者に選んだのだ。確かに私は怒られても落ち込んだりするタイプではなく、聞くところだけ聞いて他はサラリと受け流してしまう質だが、これにはびっくりしたし、ガッカリした。

研究発表は無事リンチにされて、教授の期待通りに終わった訳だが、この出来事から学んだことが1つある。

それは「裏口を探す大切さ。」である。

例えば映画に出演したいと思ったとき、王道のルートだと、演技を練習してオーディションを受けて合格し、俳優になり下積みをして…といった具合になる。しかしこんなルートはどうだろうか。演技の練習はそこそこに、オーディションの道は競争率の高さから早々に見限り、料理をひたすら練習する。すると、演技はそこそこながら料理はとても上手な俳優が生まれ、映画でのシェフ役に抜擢される。これが裏口である。

私がたいした研究でないにもかかわらず、代表に抜擢されたのは、この話で言うところの、演技の上手さではなく料理の腕が評価されたからである。

このように目標達成を試みるときは、王道のルートではなく、いかに裏口を見つけるかが重要なのではないだろうか。

ではでは。